雑記帳。

人に言うほどじゃない思い付きを出来るだけ記録するトコロ。つまりぼくの追加記憶容量の一つ。

ネジネジ

割と好きなことを仕事にしているはずなのに、細かな作業が死ぬほど面倒で結構頻繁に放置してしまい、「向いてないなぁ」と思い続けて早15年。

先日、同業の方とお話しした時に、彼は「俺はお客さまのことを常に考えていて、それが俺の生きがい。毎日充実しているし、日々自分が磨かれている気がする」みたいな事を言っていて、凄いなと感じたと同時に、キモいと思ってしまった。

この感情は何だろう。嫉妬?自分が感じられない仕事への充実を見せつけられて嫉妬したのか?おれ。

と、思ったのだが。。。それだけじゃ無い。

よくそんなアツいこと事シラフで言えるよねとも思った。まぁ、お酒が入ってたとしたら、うわー酒の勢いで熱くなっちゃうやーつーと思ったんだろうが。。。

結局、あれだ。僕がチュロスくらい捻れてるのだ。はい。僕が悪うございます。

この捻じれを今からまっすぐにするのはとても大変だ。というか、既に人生の折返し地点くらいに来ているので、今から矯正など無理ではないか。余命的に。

そう考えると、いかにこの捻じれを良しとするかを考えるしか無いので考えた。

 

①捻じれていることを正当化する

縮れ麺は縮れている事でスープと絡みやすい。蛋白なスープにはもってこいである。同様に捻じれた人格であることで蛋白な人とは絡みやすいのではないか。麺と性格を一緒にするなと言われそうだが、ぼくもそう思う。

 

②捻じれにフィットする環境をみつける

ネジは捻じれている。それゆえに、複数の部材を接合することができる。それならば、ぼくの捻じれが誰かと誰かを繋ぎはしないだろうか。しかし、まずは人と仲良くなることから始めないといけないが、捻じれがそれを邪魔しそうだ。これがジレンマというヤツか。

 

③自分より捻れている人の中に飛び込む

木を隠すなら森へ隠せと言う。おのれの捻じれ具合を隠したければ、より捻じれた集団へ身を投じるべきであろう。しかし、ここには一つ問題がある。ぼくはこの時点で気付いている。自分より捻じれた集団へ身を投じれば、いずれ自分も彼らに追いつくほどの捻じれを見せるはずだ。場合によっては超えるかも知れない。万が一、最終的に自身が捻じれ王になった場合に、これ以上の行き場が無くなる。よってこれは却下。

 

④周囲の捻じれを促進する

③と原理は同じだが、自らが身を投じるのではなく、すでにある環境を変えてしまおうという発想だ。これは周囲が変化していくため、自身の捻じれは変わらない。場合によっては、彼ら側に寄って少し捻じれが解消されるかも知れない。

 

まぁ。どーでもいいわな。