自分の「足りなさ」に辟易する日々がここ10年ほど続いております
何というか、「足りない」わけです。
何なら、今この書き出しも足りてないわけですよ。
オンオフともに足りない。パッションが。
オンに関しては言わずもがな、オフすら圧倒的足りなさを感じます。
新年になると、「今年の目標」とか考えるわけですが、内から溢れ出るパッションがゼロなわけで、
やってやんぞ!と、鼻息がムハーっとなる目標なんか何一つ出てこない。
そういうの、岡本太郎なんか超バンバン出てたと思うし、そんなビッグネームに行かなくても、そこらのチャラ男だって出てるやつは出てる。
しかし、ぼくからはチョロっとも出ない。出ないことに対する焦りしか出てこない。
焦って色々本を読んだり、映画や舞台を見たりするけど、結局出ない。
もはや、パッションの「ED」であります。
なぜ、こんなに「枯れ」てしまったのか。
昔のぼくはこんな感じじゃなかった。もっとビュンビュン出てたはずです。
そのモチベーションの源は女であり、抱きたい願望であったと思います。(抱かれたい願望の日もあったはず。)
それが、もうこの年になり、毛髪と共に抱きたい願望がだいぶ薄くなった今、
どこにも無いわけです。源が。
それは、これまでの人生を、抱きたい1点集中で攻めてきた僕の人生設計のミスでありますが、過去の自分を叱責しても仕方ないので、源を探さなければならない。
ところが、今更探してもなかなか見つからないわけですな。これが。
今年一年で、このパッションの源が何か見つかったらいいなぁ。でも、まぁ無理だろうなあと思いつつ、全く更新していなかったこのブログを更新するのでした。