雑記帳。

人に言うほどじゃない思い付きを出来るだけ記録するトコロ。つまりぼくの追加記憶容量の一つ。

イジメについて(長文失礼)

ぼくは今でこそ天真爛漫、ストレスフリーな中間管理職というポジションでそこそこ幸せに暮らしているが、小学校高学年から中学卒業くらいまでなかなかの感じでイジメにあっていた。その後、高校でもハブられるという憂き目にあったが、(これだけ色々あるということは当時のぼくに問題があったのだろう)今でものうのうと生きている。

暴力、お金やものを取られるなんてのは日常茶飯事。辱めを受けるような事も沢山強要された。殴られるよりも、辱めを受けることのほうが辛かった。今から思えば、そこそこイケメン(と自負している)でプライドが高いわりに気の弱いぼくは、イジメの欲求を満たすにはベストだったのだろう。

イジメのおかげでぼくの鼻はへし折られ(文字通り、鼻も折られたし、プライドも折れた)、紆余曲折を経て今の低姿勢で天真爛漫な性格になった。

親にも妻にも話していないが、中2の時にひどい辱めを受けて、ぼくは変態・汚物扱いを受けた。その時にはさすがに死のうと思った。

しかし、ぼくは、生き残った。一人で生き残った。

学校にも親にも苛められていることは悟られたく無かったから平気を装ったので、支えは無かった。(ただし、どちらも気付いていたと思う)

ぼくは「行きたくもない戦に狩り出され、無惨に殺される武士よりはマシ」と、自分がドン底ではないという救いを作り出し、さらに、「自分がイジメられることでみんなが幸せになるならそれがぼくの存在意義」という聖人君子的な居場所も自らに作り出し、何度か死にたくなったが、生き延びた。

自ら考えて生き抜いたが、今から思えば、この考えに辿り着けたのは親の教育や優しさであり、学校での学びであったと思う。

イジメのつらさはわかるので、死を選ぶ気持ちはわかるし、ぼくはその選択を否定しないが、いじめはいつか終わらせることが出来るし、いじめられた経験はトラウマにもなるが糧になる部分もある。それは生き抜いてこそわかる。手前味噌だが、ぼくほど温厚で優しい人間はいないと自負している。これはイジメを受け続けた事による「糧」のほうである。ちなみに、犬や幼児にはほぼ100%好かれる。さらに、今は変態扱いされることで性的興奮を覚えることが出来るというオプションまでゲットした。これは精力の落ちる40代にはありがたいオプションである。

イジメは、親もましては学校など大してあてにならない。イジメられる側の言い分とイジメる側の言い分はほぼ180度違うだろう。そんな水掛け論になる事が目に見えている中、学校にイジメを解決する責任を押し付けることが間違っている。

ビートたけしが「イジメなんてあんなに楽しいものが無くなる訳がない」と、言っていたが、まさにその通りだと思うし、イジメを通していじめる側の連帯感が生まれるのだろうから、思春期にイジメは必然だ。

イジメは無くせない。その前提で、イジメられた子が死ぬことを防げば良い。

それはイジメられた時にどう考えて、どう行動するかを事前にシュミレーションしておく事だ。要は避難訓練である。避難の仕方はいくつもある。ぼくのように、イジメを肯定的に捉え、自身の糧とする事も出来るし、あまりにも辛かったり、危機を感じるようなら、学校へ行かない、どこか遠くへ行くというのも手だと思う。プライドや自我なんぞへし折ってしまえ。そんなものにしがみつくな。クソでもいいから生きるのだ。大人になれば、イジメられた記憶なんてどうにでも差し替えが出来るし、封印だって出来る。そういう事を教えてあげられるのは学校の教育でもあるが、思想が大事だと思う。なので、死に行き着くのか、生き延びるのかは、親や周りの人々が日々どう接しているかの結果なのである。

子供は変なところで無知である。イジメられている時には、一生イジメられるのではないかという恐怖に常に怯えている。そして、逃げ場も無いと思っている。または逃げてはいけないと思っている。(イジメの一貫として逃げを否定される場合もある)

沢山の選択肢があり、結果どれを選んでも、大人になっていくにつれて大体みんな同じようなところに落ち着くので、幸も不幸もそんなに大差ないのだということを大人が教えてあげて欲しい。

何をしようが

togetter.com

ピエール瀧はテクノのミュージシャンである。

相方の石野卓球は今でも第一線で活躍するDJである。

 

ぼくは若い頃には週2~3でクラブに遊びに行っていたので、ジャンルによる遊び方がわかっているつもりだ。

そういったぼくの独断と偏見から言えば、テクノは最も薬物と結びつきの深いジャンルだと思う。

ああいった音楽に陶酔していくと、感覚を増幅させたくなるのではないか。

 

そもそも、薬物で逮捕されるのは何故か?

理由は以下の3つだろう。

 

・ボロボロになって社会的に役立たずになる可能性がある

・突然暴れたりして、他人に迷惑をかける可能性がある

・みんながそんな感じになると、国がダメになる可能性がある

 

これはアルコールでも全く同じ現象がおこるが、今のところアルコールは容認されている。可能性の度合いの違いという事だろう。

 

アルコールと同じで理性を保ちながら薬物と付き合っている人も多くいると思う。

法律で決まっていることなので逮捕は当たり前だが、そこで人物まで否定するのはいかがなものか。

あと、やった側も簡単に謝罪するのもダサい。

楽しんだんだから、逮捕されちゃいましたけど楽しかったのでまたやるかもしれません。くらい言えばいいのに。

足の小指の謎

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先程、ランチで座敷スタイルの居酒屋にお邪魔した。

親指が少し薄くなった靴下が少し恥ずかしかったのだが、そんな事より足の小指を下駄箱の角にぶつけたのである。もちろん、悶絶した。

 

足の小指はぶつけると痛いところの代名詞と言ってもいい存在である。

たまにタンスの角にぶつけて骨折したなんて話を聞くが、大抵は激痛なだけで骨折どころか打撲にもならない。しかし、めちゃめちゃ痛い。何故か。

元来、足の小指は人間が生きていく上で欠かせない存在だったのではないかと思う。昔人類は木の上で生活していたと聞いたことがある。子供がやたら木登りしたがる、高いところを目指したがるのはその名残ではないかと追う。

その頃は、恐らく足がもっと猿っぽくて、足で木を掴んで歩いていたはずだ。そうなると、足の指は欠かせない。もちろん、人差し指や中指などのほうが活躍の場は多いはずだが、酷使するため真っ先に失いやすい。そして、最終的なバックアップとして残るが小指だったのではないか。つまり、バックアップを失っては後がなくなるので、バックアップだけは死守しましょうよという意味でのあの痛みなのではないか。

この痛みの元凶は、足の小指の関節の少なさだと聞いた事があるが、よくよく触ると関節の数は変わらない気がする。気のせいかもしれないし、ぼくだけが特殊なのかも知れないが、たかが関節一つくらいでこんなに痛みが変わるなら、ぜひとも他の指と足並みを揃えて貰いたい。または、世の中の角という角にスポンジ状の衝撃緩和剤を取り付けるよう、法整備して貰いたい。列強各国にも足並みを揃える事を強く要求する次第である。

それくらい、この痛みは凄いものがある。心臓の弱い人なら、一発で命の危機に瀕する可能性は十分ありうる。前時代のバックアップを守りたいがための警告のせいで、現代人がこんなに苦しんでよいはずはない。1日も早く、この痛みから、そして、この痛みへの恐怖から開放される日が来ることを望んでやまない。

HEY!Mr.DJ

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ぼくの学生時代(今からかれこれ20年ほど前)はDJ全盛期で、ぼくの周りもDJ、DJ、DJ、一人飛ばしてMr.DJというように、ほぼみんなDJな時代だった。

世は10万人DJ時代と言われており、まさに戦国時代の様相だったと思う。

ジャンルによって西新宿のレコ屋街に行ったり、宇田川町に通ったり、レアものなら高円寺や阿佐ヶ谷あたりにもレコードを掘り(レコードを探す事をDiGる。掘る。と言っていた)に行ったし、吉祥寺のバナナレコードや、立川の珍屋あたりにも掘りに行っていた。レコファンあたりは値立てが甘く、たまにとんでもない掘り出し物が出たりしていて、誰かが掘り当てたと聞けばみんなでそのレコード屋を隅から隅まで見て回り、レア盤を安値で買っては自慢しあっていた。

ところが、世の中はすぐにデジタル化して行き、MTRという録音機械もテープからMDになり、すぐにメモリーになった。同じ頃、CDJでスクラッチが出来るようになり、それから間もなくして、MP3をアナログ盤のコントローラーで操れるようになった。

そして、みんなが血眼で探して回ったレコード盤は、どんどんディスクユニオンヤフオクで売られるようになり、値割れがひどくなった頃、売り抜けなかったレコードは、ほぼみんなの実家でお蔵入りとなったのである。

恐らく、当時掘り返されたレコードの大部分は、実家に眠っている。少なくともぼくやぼくの周りはみんな実家に保管している。

 

そんなレコードを使って何か出来ないか、幾度となく考えた。

レコードをオブジェ化させてしまう荒業もあるのだが、当時あんなに必死で探し回ったレコードをオブジェにするのは忍びないし、結局はバーやカフェなどの飲食や、マニア向けの古レコード屋しか思いつかない。ちょっと頭をひねったところで、定額制の貸しレコードくらいしか出てこない。

あんなに必死に探し回った当時の宝物。もう一度輝かせる方法は無いだろうか。

きっと、ターンテーブルやミキサーも一緒に実家でお蔵入り担ってると思うんだよなぁ。

サブスクって言っときゃいいと思ってるだろ①

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これは・・・!

も、もはや・・・カッ!家具・・・グ・・家電付き・・の!!

 

ち・・ちん・・・ちんたい・・・賃貸物件だっ!!

 

サブスクって言っときゃいいと思ってるだろ!!

 

あ。でも家具は選べるのかも。

例え話に共感するひとの感受性

古来より、多くの偉人が例え話を使い民衆を動かしてきた。

しかし、一歩引いて見ると、心を動かす例え話は本当に適切なのか。

 

先日、とあるセミナーに参加させて頂いた際に、自発的動機を引き出しましょうと言う話の例えとして、「自ら殻を破ったヒヨコ以外は死んでしまう」的な例え話をされており、参加者の共感を呼んでいた。

しかし僕は、こう思っていた。

いや、それ卵の話だから。。。と。

もっと言えば、外から割っても適切な環境下であれば生きるから。とさえ思ったのだが、まわりは「ですよねー」オーラ出しまくりで頷いている。養鶏場でも作るつもりか。

これの言わんとすることはわかるのだが、別に卵に例えなくていい。やりたい仕事やらせた方が、頑張るよ。だけでいいのだ。

シンプルに言ってくれればいい。それが一番伝わるのだ。良い肉は、塩だけで食べるのが一番旨味を感じられるのと同じようにね。

大人の節度

https://www.google.com/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASM2P4FXNM2PUTFK00M.html

 

もはや的である。

桜田大臣は何をやっても揶揄されるゾーンに入っているので、野党は突っ込みまくるし、マスコミも大騒ぎする。

3分の遅刻に対して反発して中断した時間はは四時間半である。暇か。まじで暇じゃなきゃ無理だし、やり過ぎだろ。

キモい親父がすれ違いざまにちょっと肩ぶつかって来たんで、ボコボコにしてやりました。その時の返り血でシャツ汚れたんで、仕事遅れたんですよ。

と、言われてるのと同じにしか思えない。

確かにこの大臣は失言しがちであるが、このゾーンに入っちゃった人は何をやろうがボコボコにされる。もはや逃げられない。

遡ると、サイバーセキュリティ担当大臣とパソコンを日常的に使うかはそんなに関係ないと思う。

システム担当なんだからコピー機治してよ発言に近いものを感じる。

いい加減このいじめ体質を何とかした方が良いと思う。こういうことを公然と当たり前にやっている国からいじめがなくなる訳がない。