雑記帳。

人に言うほどじゃない思い付きを出来るだけ記録するトコロ。つまりぼくの追加記憶容量の一つ。

リュック通勤に物申す人々に物申したい

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最近通勤にリュックというスタイル。ここ数年で一気に増えた。

火付け役はノースフェイスのシャトルパックだろう。

 

ぼくはリュック通勤歴10年を超えるちょっとしたベテランである。

当初、リュックになるビジネスバッグはグレゴリーの3WAYとポーターのタンカー3WAYくらいしか無かったように記憶している。どちらも、ナイロン感が強すぎるという事で、ぼくは必死に探した合皮のリュックを1年半サイクルで2回買い替えた。

その頃は、電車でリュックを前に背負う文化は無かった。しかし、ぼくが沖縄から帰ってくると、世の中は通勤リュック大ブーム(震災後じわじわ増えたとか)、電車では前に背負うという謎のルールが生まれており、困惑したのを覚えている。

なぜ前に背負うのか調べたところ、背中だと後ろの人にぶつかっても気付かずトラブルになり易いいう理由だった。確かに、そこそこ余裕のある空間では意味があると思うが、満員電車の時には前だろうが後ろだろうが邪魔なものは邪魔である。満員電車では足元のほうが比較的空間があるので、リュックは持って立つように指示すべきだったと思う。だが、それだと持ち手が無い(または貧弱な)リュックはどうすればいいのか?という自分で考えろ的な質問が出たり、手が下にあるために痴漢を助長する可能性があるなどの理由で前になったのではないかと思う。

書類全部持ち歩いてんじゃないかというデカイPCバックや、持ち主を離れやたら自己主張してくる革トート、野球部のやたら多い荷物、場合によってはスーツケースで満員電車に乗らざるを得ない人もいるので、リュックだけが邪魔というわけではないのだが、異常繁殖したリュックが邪魔の元凶という印象になっているのだろう。

さて、前でもダメ、下でもダメとなると、もうスペースは上にしか無い。

そこで、ぼくが苦肉の策として考えた、ダミエ状の網棚を鉄道各社に提案したい。

網棚は座席の上にしか無いことで、スペースが限られている。選ばれし者のみが網棚に荷物を乗せる事ができる権利を得るのであるが、これが全体に、市松模様状に広がっていれば、色々なところから乗っけたり降ろしたりできる。逆サイドから押されて落下、逆サイドから荷物をひったくりというリスクはあるが、収納スペースは格段に増えるはずである。また、爆発物を中央上部に置かれると被害が最大化するというリスクもあるが、それだけに乗客の連帯感や危機意識を高める事に繋がる可能性もある。

まあ、この問題を解決したところで、雨の日は傘が邪魔だとか、ポニーテールが邪魔、本を読む肘が邪魔など、自分のスペースに入るものは好みの異性以外ほぼ邪魔な事に変わりはない。何なら、話し声がうるさい、音漏れがうるさい、咳やくしゃみをするななど、もはや電車に乗るなら俺の気に障る事はするなよというような勢いの方もいらっしゃる。

本来こんな事でグチグチ言ってる輩は放おっておけばいいのだが、彼らは喚き散らすため対応をせざるを得ない。そういう世の中を覆すのは難しいが、少しづつでも、心の狭い人が生きづらい(=必然的に心を広くしなければならない)世の中にしていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うどんの一点張り

this.kiji.isもはやうどんが薬物に見えてきて笑えるこの広告。

 

これどっちなんだろう?

A・薬物使用を減少させたくて作った。

B・うどんをアピールしたくて作った。

(第三の回答として、笑いを取りに来た。)

 

もしAなら、薬物やりながら会議したとしか思えない。薬物摂取させられるかどうかという緊迫した状況で、「吸うならうどんがいい!」とか言えないでしょ。キマってうどん愛が溢れないと出ないでしょ。これ。

Bだとした場合、これをみて、「あ!うどん食べたい。」と思わせるよりも、「うどんが頭から離れないよぉ。もううどん食いたくて震えが止まらない。うどん。うどん。うどんどんどん。。。」とうどん中毒にさせようとしているとしか思えないが、残念ながらうどんに依存性は無い(精神的にはあるかもしれないが)ため、あまり効果はないと思われる。

 

香川県が何をしようが別にいいんだけど、こういうのって結構な金額で作成してたりするので、そのお金が回りまわって薬物に使われないことを切に願う次第です。

世の中の情報は全て出典を記載することを法律で義務付けて欲しい

genesiscom.jp

business-textbooks.com

spicomi.net

buzz-netnews.com

さっきミーティングで、ミレニアル世代の特徴は・・・なんて言い出し、どこの馬の骨とも知れないWEBページをプリントアウトしたものを持ってきた輩がいた。

みんな「ふんふん。」とか言いながら、このプリント有りきで話を継続してるのを見て思ったんだけど、よく言われてるこの世代の特徴ってソース何なのかな?

これって血液型占いと同じくらい根拠なくない?これ鵜呑みにするならO型の人向けのマーケットばっか探せばいいよ。超簡単そうだもん。O型。あと、獅子座。

なので、獅子座O型のバブル世代はカモです。該当する方はお気を付けを。

「もったいない」に支配される

ぼくは楽天のヘビーユーザーである。

お買い物はアマゾンと比較して圧倒的にアマゾンが安いケース以外は楽天で買う。

旅行は一応メタサーチで検索するが、国内の宿泊であれば楽天より安いケースは比較的少ないので、大抵楽天で買う。海外は諦めている。

なので、楽天ポイントが貯まる。それをまた買い物に回す。完全に思う壺であるが、

お互いにwin-winの思う壺だと思っていた。3月31日までは。

楽天には期間限定ポイントというやつがある。決まった期間内に使わないと消滅しますよというポイントだ。

来る3月31日。ぼくの手元には今日までしか使えない期間限定の1207ポイントが手元にあったが、欲しいものが何もなかった。このままでは1200ポイントが無駄になってしまうと思い、焦り、欲しいものを探すが、1200円で買えるもので欲しいものは出てこない。あと3時間でポイントが消滅する・・・あと2時間・・・あと1時間・・・あと30分・・・ああ、もうダメだ。。。

結局ポイントは消滅した。その時、この期間限定ポイントに踊らされ、ウオッチリストに追加した訳のわからない商品の山を見て、「もったいない」の感覚が持つ魔力を実感した。靴の中敷き・変なヘアバンド・健康器具・腹筋ローラー・スマホケース・シリコンの小銭入れ・・・どれも1週間も立たずにゴミになるものばかりだ。

 

今ぼくのメルカリには970円の売上金がある。5月末で消滅する。

メルカリにも970円で買える欲しいものは無い。踊らさせられないように気をつけたい。

が、メルカリはぼくのモノを売って得たポイントなのに、消滅される意味がわからない。早くもっとユーザー目線の同様のサービスが出て、メルカリは潰れて欲しい。

もう電子マネーだけで(ほぼ)イケる世の中になってた

昨日日帰り出張があり、午前中に東京駅を出た。

道中お弁当を食べようと思い、コンビニで購入。

会社から歩いて改札に向かうまでの間にスマートEXで乗車券特急券を購入。

モバイルスイカでチェックイン。

現地について、打ち合わせまで少し時間があったのでスタバでパソコンを開こうと思い、ドリンクを買おうとしたところで、「あれ?おれ今日財布どこに入れたっけ?」となった。大阪出張なので、いつもより荷物が増えることを想定し、いつものキャパ狭TUMIからノースフェイスのリュックに荷物を移していたのたが、財布を忘れた。

ダメ元で電子マネーを使えるか聞いたところ、「ごめんなさい~。」とかわいい店員さんに可愛く謝られたので笑顔で許した。

仕方がないので、近くのドトール電子マネーで支払い、打ち合わせを1件終え、また少し間が空いたので、今度はプロントで時間を潰した。

仕事が終わったのが21時過ぎだったので急いで駅に向かう。途中同様にスマホから新幹線を予約。お土産物屋で土産を買い、キオスクでお弁当と水を買ってどちらも電子マネー払いを済ませ、乗車。終電ギリギリで無事帰宅。

万が一終電に間に合わなかったとしても、サイトからホテルの予約も出来る。ホテル近くのコンビニでは電子マネーで支払いが出来るはずだ。

中小規模の飲食店などはまだまだ支払えないかも知れないが、別に行かなくて困ることはない。もはやスマホ一つでほぼ不自由なく過ごせるのだと実感した。

打ち合わせの合間にスタバを使うケースは多いのでスタバだけが残念だったが、スタバじゃなくて困ることはない。

こうなってくると、もはや財布を持ち歩くのは面倒なので、クレジットカードや、IDの類も全部スマホに収まって欲しい。それも、出来れば端末に依存するのではなく、クラウドで。

その場合にはどのクラウドサービスが安全なのだろうか。クラウドの安全性もしっかり確認しておきたい。

 

広い心とは

www.kotono8.com

LINEのタイムライン的なやつに「ホーリーから、人生のちょっとしたアドバイス」というやつが流れてきた。

すごくひねくれた性格のぼくは、こういうの見ると「はいはい。スパムね。うざ。」と思ってしまう。

こういう美談を否定しても何の得も無いのでしないが、いや、するんだが、こういう話はそもそも創作感があって大嫌いだ。リアルなものもあるだろうが、リアリティがない。そして、説教臭い。毎日を大切にしようとか、知ったことかと。大体みんな絶対死ぬんだし、死ぬ人がちょっといい事言ったらやたら感動するの、もうやめようよ。いい事なんて、誰でも言えるって。

それにさ。こういう話撒いてるブロガーとか、、自己顕示欲まみれの人たちばっかりじゃない。

対して、いいね的な事とかシェア的な事とか、挙句の果てには「感動して涙がちょちょ切れました」的なコメント。何なのかな。サクラなのかな。満開なんだろうね。

とか思ってたら、冒頭の「病気のこどもはいなかったんだ」を思い出した。

余裕が欲しい。

 

イジメについて(長文失礼)

ぼくは今でこそ天真爛漫、ストレスフリーな中間管理職というポジションでそこそこ幸せに暮らしているが、小学校高学年から中学卒業くらいまでなかなかの感じでイジメにあっていた。その後、高校でもハブられるという憂き目にあったが、(これだけ色々あるということは当時のぼくに問題があったのだろう)今でものうのうと生きている。

暴力、お金やものを取られるなんてのは日常茶飯事。辱めを受けるような事も沢山強要された。殴られるよりも、辱めを受けることのほうが辛かった。今から思えば、そこそこイケメン(と自負している)でプライドが高いわりに気の弱いぼくは、イジメの欲求を満たすにはベストだったのだろう。

イジメのおかげでぼくの鼻はへし折られ(文字通り、鼻も折られたし、プライドも折れた)、紆余曲折を経て今の低姿勢で天真爛漫な性格になった。

親にも妻にも話していないが、中2の時にひどい辱めを受けて、ぼくは変態・汚物扱いを受けた。その時にはさすがに死のうと思った。

しかし、ぼくは、生き残った。一人で生き残った。

学校にも親にも苛められていることは悟られたく無かったから平気を装ったので、支えは無かった。(ただし、どちらも気付いていたと思う)

ぼくは「行きたくもない戦に狩り出され、無惨に殺される武士よりはマシ」と、自分がドン底ではないという救いを作り出し、さらに、「自分がイジメられることでみんなが幸せになるならそれがぼくの存在意義」という聖人君子的な居場所も自らに作り出し、何度か死にたくなったが、生き延びた。

自ら考えて生き抜いたが、今から思えば、この考えに辿り着けたのは親の教育や優しさであり、学校での学びであったと思う。

イジメのつらさはわかるので、死を選ぶ気持ちはわかるし、ぼくはその選択を否定しないが、いじめはいつか終わらせることが出来るし、いじめられた経験はトラウマにもなるが糧になる部分もある。それは生き抜いてこそわかる。手前味噌だが、ぼくほど温厚で優しい人間はいないと自負している。これはイジメを受け続けた事による「糧」のほうである。ちなみに、犬や幼児にはほぼ100%好かれる。さらに、今は変態扱いされることで性的興奮を覚えることが出来るというオプションまでゲットした。これは精力の落ちる40代にはありがたいオプションである。

イジメは、親もましては学校など大してあてにならない。イジメられる側の言い分とイジメる側の言い分はほぼ180度違うだろう。そんな水掛け論になる事が目に見えている中、学校にイジメを解決する責任を押し付けることが間違っている。

ビートたけしが「イジメなんてあんなに楽しいものが無くなる訳がない」と、言っていたが、まさにその通りだと思うし、イジメを通していじめる側の連帯感が生まれるのだろうから、思春期にイジメは必然だ。

イジメは無くせない。その前提で、イジメられた子が死ぬことを防げば良い。

それはイジメられた時にどう考えて、どう行動するかを事前にシュミレーションしておく事だ。要は避難訓練である。避難の仕方はいくつもある。ぼくのように、イジメを肯定的に捉え、自身の糧とする事も出来るし、あまりにも辛かったり、危機を感じるようなら、学校へ行かない、どこか遠くへ行くというのも手だと思う。プライドや自我なんぞへし折ってしまえ。そんなものにしがみつくな。クソでもいいから生きるのだ。大人になれば、イジメられた記憶なんてどうにでも差し替えが出来るし、封印だって出来る。そういう事を教えてあげられるのは学校の教育でもあるが、思想が大事だと思う。なので、死に行き着くのか、生き延びるのかは、親や周りの人々が日々どう接しているかの結果なのである。

子供は変なところで無知である。イジメられている時には、一生イジメられるのではないかという恐怖に常に怯えている。そして、逃げ場も無いと思っている。または逃げてはいけないと思っている。(イジメの一貫として逃げを否定される場合もある)

沢山の選択肢があり、結果どれを選んでも、大人になっていくにつれて大体みんな同じようなところに落ち着くので、幸も不幸もそんなに大差ないのだということを大人が教えてあげて欲しい。